1 才牙

会話

会話
100 カイザー
なんつ〜恐ろしいとこに巻き込んじゃったんだ
99 カイザー
あのね。彼は現在の天皇家でも鎮魂の儀してるのよ
98 崇徳天皇
😄
97 カイザー
『朝廷に怨みつらみを残したまま世を去った崇徳上皇(爺さんと嫁の子)の死後、その呪いが現実のものとなって天皇家と京都に様ざまな不幸が襲いかかります。延暦寺の強訴、安元の大火、鹿ケ谷の陰謀といった動乱が続き、さらに勝者である後白河天皇(鳥羽天皇の実の子)に近しい人々が次々と亡くなります。しかし、それはまだ不幸の前兆に過ぎず、このあと天皇家にとってもっとも不幸なことが起こります。

それが鎌倉幕府の誕生です。幕府創設が何を意味するか。政治の実権が天皇から一般大衆に過ぎない武士に移ったということです。つまり、崇徳の呪いの言葉「皇を取って民とし民を皇となさん」が現実のものとなったわけです。この時代、貴族は武士を野蛮人としてものすごく見下していました。その野蛮人に政権を奪われたのですから、まさしく天と地がひっくり返ったようなものでしょう。朝廷は崇徳の呪いのパワーに恐れおののき、怨霊の鎮魂に努めますが時すでに遅し。以後700年にわたり武士による政権が続くことになります。』
96 カイザー
『さて、戦いは後白河天皇側の勝利となり、敗れた崇徳上皇は四国・讃岐の国に送られます。遠く讃岐の地で第二の人生を送ることになった崇徳上皇の心のよりどころは和歌と仏教でした。冒頭の有名な歌「せをはやみ〜」を詠んだのもこの地であったとされています。同時に心を入れかえようと写経にいそしみ、何百巻という写本ができあがりました。その写本を京の寺に納め、世の平安を願ってほしいと朝廷に献上します。ところが後白河天皇はせっかくの写経を突っ返してしまうのです。「自分たちを怨んでいる崇徳のお経には、呪いが込められているにちがいない」と解釈したわけです。ヒドい話です。

せっかくの想いを踏みにじられた崇徳はドス黒い怒りを爆発させます。なんと自分の舌先を噛み切り、したたる血でこう書くのです。「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と。ようわからんですね。通訳すると「我こそは日本の大魔王となり、天皇をその座から引きずりおろしてやる。そして民衆のなかから新たな王を生みだしてやる」という呪いの言葉に解釈できます。トランプゲーム大富豪でいうところの「革命」ですね。』
95 カイザー
『崇徳天皇が生まれたのは平安時代終盤の1119年、源氏と平氏が台頭する少し前の時代です。崇徳はなんと満3歳にして天皇に即位します。そこには天皇家の人には言えない「ワケ」がありました。これから崇徳天皇の怨霊伝説とは切っても切れない、ワケアリのお家事情についてお話ししたいと思います。

なお、登場人物の肩書きが「天皇」「上皇」「法皇」とコロコロ変わってややこしいので、話を現代の会社に例えてみることにします。』