54 MIZUKI・s◆MEER
  〜まえがき〜
 今回は色々な可笑しさを素直に詰め込んでみました。

 それは、
お弁当を認識できて、そこにグリーンピースを添える仕事をしているネアンデルタール人が
どうにかして、そのお弁当を食べている人間に近づこうと木の箸と茶碗を自作して見せびらかすも、
目の前に居るアウストラロピテクスは木の枝を振り回してばかりなので、ネアンデルタール人は腹を立てた。
というようなお話。


 まぁ、急がずともすらすら読んで同時に意味も理解できる方は、
私がここで言っている【可笑しさ(巧笑)】の所有者なのでしょう。

 ちなみに、これ以降の文章からは、対象としての人々の表現が断続的に変化してゆきます。
例えば、猫→虎→羊の群→猿といった具合に。

これは、錯乱や概念崩壊といった可笑しさにも当たる一方で、
実は、多様性というメッセージが表現として秘めているわけですね。

以上


   序文
 この世には、無自覚な不具者および不具を認めぬ不具者というものがいる。
複雑多岐にわたるその者は、往々にして安泰の標識を前に安息を見出だし、知覚麻痺をわずらうことに安寧を見る。

 だがそれは、いち早くもたげられる爪と翼を失った始祖鳥の姿を私に連想させるものにすぎない。


   序言
 私は此処に、
卑しくも、羊とその横で寝そべっている白い飼犬に説教を企てる祭主らの弛んだ喜悦と、
その証徴たる純金の門歯が栄える未完成の肖像画を据え置こうというのではない。

 また、赤い頬をした白い獣を笑わせるために諧謔を弄し、
不幸にも、先天的な脳挫傷の気を垣間見せる者や
痛ましい社会的状況によって織り成されたであろう者を槍玉に挙げ、
今ここに調教員となってセラミックスの犬歯を見せびらかそうというのでは断じてない。

 まことに、これは事実から見て取れた実相を能動的に記すことにより、
思索と省察の効用や価値を提示するものなのである。

続いて本文>>55-56
(SH903i/FOMA)
55 MIZUKI・s◆MEER
  [すき・きらい] [よい・わるい]
 なごやかな認識を求められる日常での会話や、
ドモリが是認される状況における表現を控除したその場に於いて尚、
これらを用いる者に私を理解することは叶わない。
なぜなら、私はそこになく私にそれはないのだから。

 ときに、地平に居座り太陽を追う者は、常々その強固な価値観を幹としつつたゆたっている。
相反するその現実はやがて、多彩な言語を手段として捻出させる。
《無敵の自負》これはその現実における先鋭のひとつであり、高貴である。

 また、上記の者は沈黙に終焉の幻覚を見る。

 しかるに"我"は、
"我"と異なるすべての我に対し"我"の発作のシンボルである烙印を誇示しつつ、
"我"の発作の結晶である恥辱をすべての我と"我"に謳歌させた。


 ときに実社会、そこにこれが命題として呈示された刻、
"我"の発作をさまざまな現実が認証する。このように―。


 『オレ、マジわかんねぇ。
つうか、オレにわかんない奴わるい奴!目立つ奴はもっとわるい奴!!ユダヤ人は社会悪!!
オレのプライド、マジ今けんじゃモード?今のオレ、マジハンパネェ!
つーかそもそも、オレはオマエでオマエはオレ!!』


続く
(SH903i/FOMA)