52 MIZUKI・s◆MEER
>>47-51の続き
※5)紛れのない不幸は、常々考えが浅い事にある。
 私は事実、社会人になった頃、
一月あたりの食費が12万円もかかっており、光熱費も毎月6万円であったため、
娯楽品が何一つ買えなかった。
だから私は、考えて考えて考え続ける事でその不幸を少しづつ克服してきた。

 またこれは、本文末のユダヤ人に帰結して見ることができよう。


 ほまれ高い良心に囚われる事は、大なり小なりそこに孕まれた固定観念を増大させ、
ほまれ高い良心の呵責を享受することに繋がる場合が多いのが現実である。
だからそれらの人々は、現に朽ちた同情を産みだし、時に意地を張って自滅している。

また時に、これらは社会に仇をなす事もある。


 なお、世の中にはこうした考えの人間に対して、おのが真理を必要にも示す者達がいるが、
それは>>1を読む限り大丈夫そうである。


 道化師まがいの賢者たち、これは本文終盤に書いた大賢者と大方同義であり、自称の賢者。
己の諸産物をたっとびながら、薮から棒に他者の経験を嘲笑い、
いつも現実に涙をこらえている。暴力的である。


 ちなみに(※5)を湾曲ないし誤訳して、
《自我に固執し虚栄を張って冷血を気取れ》としてしまう者が時々現れるが、
そうでないことは、よく読めば判ってもらえるだろう。


※6)うん泥色のアスファルトがあかね色に染まる頃、これは、暮れである。
道路工事が終わり、元締にお金が入った時、己の教養をステータスであると誇りつつ、
しつこく中卒の作業員を罵った者。

 しかし、それは教養ではない。金品なる物である。


※7)人生の折り返し地点をとうに過ぎた年齢にて、
『本物の大人ってやつは、パチスロやキャバクラに人生を賭けられるデッカイ男のことよ。』
と、言った者。現実に借金を抱えている…。


※8)この場合、感謝の言葉は誤解の元である。
だからその意を伝えた場合、(※6)と(※7)は結託し、私を罵倒するであろう。
しかれど、
その罵倒は、己を乗り越えて行こうとする私にとっては小さな糧であり名誉なのである。という意味。

 そして続けてこう言っている。
だが、一方の彼らは自らをおとしめてしまう。故に私は何も言わず、己の内でユダヤ人に近付くよう努力せねばならないのだ。と。


おしまい(・_・)
(SH903i/FOMA)