†晒しの楽園†
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45 リュウ◆UcGa>自分、相手、板、〜
状況判断ができる事と生命の危機は直接的因果関係が不明である。
解りやすくする為に、各部毎に検討してみましょう。
【状況判断@】
そもそも遭難とは生命の危機に連続して瀕している状況であり事故等のように瞬発的に危機に瀕する訳ではなく同様に生命の危機でも状況判断が不可能であるとはならないのである。
これは救助をもし行うとすれば必須の項目であろう。仮に遭難中でっても判断が箇条書きされているが大きな板であったり遠方で要救助者がもがいている姿を見て「この板ならまだ人がのれるだろう」「助けないとあの人は助からないだろう」と≪漠然と≫把握できる範疇のものだと私は思いますよ?
【状況判断A】
前提におけるAが自身の体力への客観的観測は示されているがそれをA自身が測定できるものとはされていない。
詰まり、AにとってBまで自身がたどり着けるかは自覚がないのである。
故に正常な判断を求め救助を義務とするのは難しいであろう。
【救護義務】
まず本来の救護義務はAの先行行為がない時点で発生しない。
救護業務としているがこれが可能な状況下であるから義務となる理屈を説明いただけますか?
>悪意を感じる
恣意的な意見であり論証にならない。
補足部へはまた後ほど。
(PC)
46 牡牛座◆xo7Y状況判断と生命危機、因果関係に関して
自己が危機にさらされているのにも関わらず自己が他者のある程度を認識する行為が既に因果関係の有ですね。
救済方法、救済道具の耐久性、他者の体力認識、以上が直接的因果関係の有の証明である。
残りの状況判断、救護業務、などに関してわ、後ほど返信しますね。
(docomo)
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