†晒しの楽園†

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4 yoku
私個人としては、「人をやっつけるために」
論争をしているつもりはありません。
自分と違う意見を持つ人を理解するプロセスとして
論争という形を取っているつもりです。

確かに、結果的にどちらかが折れることは
往々にしてありますし、
それを相手をやっつけると形容することも出来ますが
論争はそれを目的とするのではなく
理解しあうことを目的とすると思っているので
自分の論に間違いがあったら
素直にそれを認めるのが筋だと思いますし、
もっと言えば、相手の方がもっともらしいと思うなら
相手に同調しても構わないと思っています。
そしてそれを一概に勝ち負けとして表現することには
私個人としては違和感を覚えます。
本当に論争をするつもりなら、
相手を煽って頭に血を上らせ、
話を逸らして揚げ足を取ったとしても
それは互いの意見が正しいという証明になり得ない以上
何の解決にもならず、
単なる問題の先伸ばし、あるいは論点をずらして
逃げただけに過ぎませんし、
従って例え論争で「負けた」としても、
それで仲が悪くなったりすることは
本来あるはずの無いことですから。

相手を打ち負かすことを目的として論を展開するのは
それはディベートのようにそれを目的とした
特殊な論争の場においてのことか、
あるいは単に相手と喧嘩をしている時か
どちらかだと思っています。
そして特に喧嘩の場合においては、
相手に決して好印象を持っている訳ではないので
暴言その他で相手を煽り、本筋から外れ、
相手をやり込めるような論を展開することも
「許される」のだと思います。

さて、長々と私の考えを述べましたが、
私は以上のような理由から、
喧嘩というものは論争よりも終わりが見えないものだと
考えています。
何故なら、負けを認めるということが
論争以上に起こりにくいからです。
相手を納得させるための論争と異なり、
相手を打ち負かせば勝ちということは、
裏を返せば負けを認めなければ負けない訳ですから
例え納得していても意地になって
屁理屈などをこねて食い下がることが往々にしてあり、
煽られればそれに相手も同調しやすいからです。

従って結論を述べますと、
目的も曖昧なまま言葉の応酬を繰り返す喧嘩においては
当事者間での解決を待つより他に
後腐れの無い有効な方法は無いということです。
頭が冷えるまで待つか、
どちらかが折れるかを待つべきだということです。

主さんも、気持ちは分かりますが、
頭に血を上らせた高校生に理詰めで迫っても
なかなか上手くは行かないと思いますし、
若気の至りだと思って見守ってはどうでしょう?
(SP)




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