†晒しの楽園†

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1 天台宗の念仏派・興禅派・題目派
鎌倉新仏教の祖師たちは天台僧
鎌倉新仏教の祖師たちは天台僧


鎌倉時代には
江戸時代のごとき寺壇制度が まだ有ったわけではなく、
宗派の違いは そこまでハッキリとはしていなかった。

日蓮は自らを天台僧だと思っていたと思う。
臨済宗の栄西なども、
あくまで天台宗の復興のために
禅を興隆させようとしていたのだ。
(PC)


2 天台宗の念仏派・興禅派・題目派
>>1
天台宗の念仏派・興禅派・題目派


法然も自らを天台宗の一部だと思っていたのではないか?

鎌倉新仏教の祖師らの意識としては
自らは言わば天台宗内部の
念仏派・興禅派・題目派であったのであり
(互いに、
 相手方は「天台宗の本来の在り方から逸脱している」と
 考えていたかもしれないが)、
自らを独立した宗派の祖とは
考えていなかったのでないかと思う。
(PC)


3 本願寺は長く天台宗の末寺だった
>>2
本願寺は長く天台宗の末寺だった


実際、
浄土真宗の本願寺などは
室町時代の蓮如の頃には天台宗の青蓮院の下に在った。
本願寺は天台宗寺院の末寺にすぎなかったのだ。

蓮如も この青蓮院で僧侶に なっている。
それまでの本願寺歴代門首も基本的には
この天台宗の青蓮院で僧侶に なった。
これは蓮如の ひ孫の代まで続いた。
(PC)


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