†晒しの楽園†

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11 †麗帝†ルシフェル・フェザー・ド・華流魔
スカーサ理論

>ミスすることとキャラ演じていることは無関係である。

↑キャラを演じていた上でのミスも起こりうるが、
キャラ付けのため多少会話が喧嘩っぽくなり会話の流れ不自然だということを説明している。
無関係とは限らない。

>苦しんでいる人がいて、それがドッキリである可能性は少ない。
それと同じだ。

↑共通点のあることを並べたところでネタじゃない可能性との関連性はない。


>喧嘩とは勝負を決めるものだから、優位に立とうと後付けでネタと言った可能性がある。

今回は喧嘩ではなく山本の弟子ごっこという遊びの延長戦上の話で、その例に該当するとも一概には言えない。

さらに文字喧嘩にもスタイルは人それぞれ。僕は内容が悪くなかったら勝敗にそこまで執着しない。後付けなんかしないし、んなもんで粘るくらいならさっさと敗北を認めるタイプ。

僕は話を聞いてないように見えるのは、山本らしさを出すためと説明している。それなのに何故、ネタかネタじゃないミスかイーブンの話前提、いやミスしていること前提である。

僕の説明が疑わしいというのならネタでやっていることの矛盾点をあげるなりして主張するといい。

>ミスだったという可能性が無いとは言い切れない。
ミスすることは日常茶飯事にあり得る。
可能性があるというだけでは、嘘くせえ、後付けにしか見えないことの正当な根拠とは言えない。


その理屈だと
自分がはっきり把握していないことのおおよそが、嘘くせえことになる。

一般にこれを疑心暗鬼と言う。
(EZ)




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