1 河原
賽の河原って何?
朝、とくダネで、佐渡の賽の河原の特集やってました。私が知っているのは、幼くして亡くなった子供は両親を悲しませた罰として、あの世に行けず賽の河原で石を積み続けなければならない。と聞いたことがあります。今日とくダネでは、あの世の入り口の様な場所だと言ってました。どなたか地元の方や、詳しい方、教えて下さい。たいへん興味があるのです。
(P901iS/FOMA)
5 無名さん
賽の川原に流れてる川が三途の川で,子供たちが石を積み終わることができたら川を渡ることができるのではなかったでしょうか?
それを完成させないように鬼が石を崩していくっていう。
それを完成させないように鬼が石を崩していくっていう。
(P701iD/FOMA)
6 無名さん
親より先に死んだ子供は,
親を悲しませた罰として
永遠にここで石積みをしなければならない,
と言われる。
しかし,これは親不孝を最大の罰と考えた
儒教の教えに基づくもので,
実際は,親の悲しみが深すぎて
その念に縛られ,成仏できないんだってさー(´_┘`)
ぬ〜べ〜より
親を悲しませた罰として
永遠にここで石積みをしなければならない,
と言われる。
しかし,これは親不孝を最大の罰と考えた
儒教の教えに基づくもので,
実際は,親の悲しみが深すぎて
その念に縛られ,成仏できないんだってさー(´_┘`)
ぬ〜べ〜より
(V802N)
8 無名さん
もっと昔は、死んだ子供は家の庭先?や、辻に埋めて、人間扱いしなかった。
人間扱いしなければ早く、例えば賽の河原で石を積んでる暇もなく、生まれ変わって来られるから、らしい。子供の死体を人間らしく葬らない事で、早く生まれ変われと願う。一見ひどい話のようで、これも親の愛情ゆえの切実な願いだね。
賽の河原から話ズレたか、ごめん。
人間扱いしなければ早く、例えば賽の河原で石を積んでる暇もなく、生まれ変わって来られるから、らしい。子供の死体を人間らしく葬らない事で、早く生まれ変われと願う。一見ひどい話のようで、これも親の愛情ゆえの切実な願いだね。
賽の河原から話ズレたか、ごめん。
(N901iS/FOMA)
10 無名さん
私の地元にある賽の川原にも沢山石が積んで合って、早く亡くなった子供が親を思いながら一つ一つ石を積む。積みおわると成仏できるんだけど、親をおいて先に死ぬのは罰当たりだってことで、地獄から鬼が来て積み上げた石を崩してまた地獄に戻るって、そこのお土産売場のおばちゃんに聞いた。
帰りにおばちゃんから、『早く成仏できるように石積むのを手伝ってあげて』って言われて何個か積み重ねてきた。そこに来てる人みんなが石を積み重ねて帰ってた。
風ぐるまも買ってお供えしてきた。淋しさを紛らわしてあげる意味があるんだよっておばちゃんに聞いた。
帰りにおばちゃんから、『早く成仏できるように石積むのを手伝ってあげて』って言われて何個か積み重ねてきた。そこに来てる人みんなが石を積み重ねて帰ってた。
風ぐるまも買ってお供えしてきた。淋しさを紛らわしてあげる意味があるんだよっておばちゃんに聞いた。
(N700i/FOMA)
11 河原
なるほど…。
本当に色々ですねー。
賽の河原って色んな場所にある様ですね。
とくダネで見たのは、佐渡の願(ねがい)という地区でしたよ。本家本元はどこなんですかね??
私は北海道ですが、そのような場所はありません。
お化けスポットとかはたくさんあるんですケドね…。
本当に色々ですねー。
賽の河原って色んな場所にある様ですね。
とくダネで見たのは、佐渡の願(ねがい)という地区でしたよ。本家本元はどこなんですかね??
私は北海道ですが、そのような場所はありません。
お化けスポットとかはたくさんあるんですケドね…。
(P901iS/FOMA)
12 朴捻◆MRe7
賽の川原の本家は、青森の恐山が本家と云うか有名な地ですね・・・
さて賽の川原に付いて少し詳しくお話しましょう
十王經では、賽の川原とは、死者が死出の山の裾野に有る河で
冥途の旅路の途中に渡る大河で死者の生前の行いに因り三つの渡り方が有るとされ
善人は、橋を渡り中人は、浅瀬を悪人は、濁流を渡らなければ為らないそうです
そこで河の渡し賃として六文とされ(六道に通じる渡し賃)過去より六文銭が必ず旅装束に入れられたそうです。
河を渡ると衣領樹の袂には、老夫婦が死者の衣を剥がし衣領樹の枝へと掛けその枝のしなり具合に因り生前の罪の重さを計り
十三王へと資料として送られ後の裁きに用いられるそうです。
又、夕方の賽の川原の裾野では、ご存じの通り子供等が石塔を積む場面が有ります。
此れは、地蔵和賛に詳しく描かれて居りその内容は、
賽の川原の裾野に於いて親より先に旅立った子達が夕方に成ると川原に集まり父母が居ない淋しさと兄弟達の為、「一つ積んでは、父の為、二つ積んでは、母の為、三つ積んでは、故郷の兄弟我が身の回向して・・・」と追善の石塔を積むのですが
そこで鬼達が黒鐵の棒を持ち「やれ汝ら等何をする汝等父母、追善作善の所作も無く汝哀れや不憫だと日々哀しみ明け暮れたるは、汝が罪と成る我を恨む事勿・・・」と云いつつ塔を崩します。
此れは、儒教の教えの親孝行の教えに依り親より先立つのは、親不幸で有ると云う事と残された人達ね追善の必要性が説かれて居ます
話の続きとしては、鬼達にいじめられて居る所に六道におわします地蔵尊が顕れ鬼達を退けその子達に我を冥途の親として我に縋り頼めよと・・・と申され極楽浄土へと導いて逝かれるのです。
故に地蔵盆や水子地蔵等地蔵尊には、子供さんに関係する行事や祭礼が多いのは、納得して戴けると思います。
他にも様々詳しい話が有りますがそれは、質問に応じてお答えしましょう・・・
さて賽の川原に付いて少し詳しくお話しましょう
十王經では、賽の川原とは、死者が死出の山の裾野に有る河で
冥途の旅路の途中に渡る大河で死者の生前の行いに因り三つの渡り方が有るとされ
善人は、橋を渡り中人は、浅瀬を悪人は、濁流を渡らなければ為らないそうです
そこで河の渡し賃として六文とされ(六道に通じる渡し賃)過去より六文銭が必ず旅装束に入れられたそうです。
河を渡ると衣領樹の袂には、老夫婦が死者の衣を剥がし衣領樹の枝へと掛けその枝のしなり具合に因り生前の罪の重さを計り
十三王へと資料として送られ後の裁きに用いられるそうです。
又、夕方の賽の川原の裾野では、ご存じの通り子供等が石塔を積む場面が有ります。
此れは、地蔵和賛に詳しく描かれて居りその内容は、
賽の川原の裾野に於いて親より先に旅立った子達が夕方に成ると川原に集まり父母が居ない淋しさと兄弟達の為、「一つ積んでは、父の為、二つ積んでは、母の為、三つ積んでは、故郷の兄弟我が身の回向して・・・」と追善の石塔を積むのですが
そこで鬼達が黒鐵の棒を持ち「やれ汝ら等何をする汝等父母、追善作善の所作も無く汝哀れや不憫だと日々哀しみ明け暮れたるは、汝が罪と成る我を恨む事勿・・・」と云いつつ塔を崩します。
此れは、儒教の教えの親孝行の教えに依り親より先立つのは、親不幸で有ると云う事と残された人達ね追善の必要性が説かれて居ます
話の続きとしては、鬼達にいじめられて居る所に六道におわします地蔵尊が顕れ鬼達を退けその子達に我を冥途の親として我に縋り頼めよと・・・と申され極楽浄土へと導いて逝かれるのです。
故に地蔵盆や水子地蔵等地蔵尊には、子供さんに関係する行事や祭礼が多いのは、納得して戴けると思います。
他にも様々詳しい話が有りますがそれは、質問に応じてお答えしましょう・・・
(P700i/FOMA)
13 10
私ゎ宮城県ですが、宮城には山形と宮城の境にある蔵王のお釜という観光地があるんですが、そこに行くためのエコーライン(宮城県側)をひたすら山頂にむかって
で上っていくと、小さいですが賽の河原があります。県内でゎここだけなのかなぁ?
本家本元の賽の河原ってどこなのかなぁ??
青森の恐山かなぁ??詳しく知ってる方います?
本家本元の賽の河原ってどこなのかなぁ??
青森の恐山かなぁ??詳しく知ってる方います?
(N700i/FOMA)
14 河原
色々と大変詳しく教えて頂き、ありがとうございました。
恐山ですか…。
あそこはイタコさんがいて亡くなった方に会わせてくれる…というだけの場所だと思ってました!
賽の河原もあるんですね!たくさん興味深いお話をして頂きましたが、ゴメンなさい!!難しい漢字が沢山で、あまり理解が出来なかったんです…。
賽の河原という場所は、
なんだか神聖な場所という感じですね…。私ごときが語ってはいけない様な…。「賽」という意味も実は疑問です。
恐山ですか…。
あそこはイタコさんがいて亡くなった方に会わせてくれる…というだけの場所だと思ってました!
賽の河原もあるんですね!たくさん興味深いお話をして頂きましたが、ゴメンなさい!!難しい漢字が沢山で、あまり理解が出来なかったんです…。
賽の河原という場所は、
なんだか神聖な場所という感じですね…。私ごときが語ってはいけない様な…。「賽」という意味も実は疑問です。
(P901iS/FOMA)
15 朴捻◆MRe7
先程の内容の要約としては、賽の川原とは、死者の旅路の途中で必ず渡る河で罪の重さで深さが変わり渡り終えた後に十三王の裁きを受ける事と成ります。
又、賽の川原の裾野では、ご存じの通り親の恩に報いる事が出来なかった子が居て最後には、地蔵尊に救われると云う事です。
又残された人達が成す事は、死者の為に追善する事です。
賽の意味は、報いると云う意味が有り要は、神佛から受けた恩、福に対しての
お礼参りの意味が有ります
要は、賽の川原とは、死者が神佛にお礼参りの旅路の途中に有るものと考えて戴ければ良いのですが
その時には、善悪の裁きを受けると云う事です。
又、賽の川原の裾野では、ご存じの通り親の恩に報いる事が出来なかった子が居て最後には、地蔵尊に救われると云う事です。
又残された人達が成す事は、死者の為に追善する事です。
賽の意味は、報いると云う意味が有り要は、神佛から受けた恩、福に対しての
お礼参りの意味が有ります
要は、賽の川原とは、死者が神佛にお礼参りの旅路の途中に有るものと考えて戴ければ良いのですが
その時には、善悪の裁きを受けると云う事です。
(P700i/FOMA)
22 無名さん
私が以前きいたお経(?)で
「幼くして亡くした子を想い母が流す涙は 賽の河原で石を積む我が子の小さな手に突き刺さり その手で一生懸命積まれた石は途中で鬼どもに崩されてしまう」
だから悲しんでばかりいないで 早く子供が石を積み終えられるように 賽の河原を渡れるように 祈ってあげなさい
というような内容のものがありました
それから 以前 恐山の賽の河原に行ったことがありますが そこだけが違う空間みたいで なんだか不思議な光景でしたよ
「幼くして亡くした子を想い母が流す涙は 賽の河原で石を積む我が子の小さな手に突き刺さり その手で一生懸命積まれた石は途中で鬼どもに崩されてしまう」
だから悲しんでばかりいないで 早く子供が石を積み終えられるように 賽の河原を渡れるように 祈ってあげなさい
というような内容のものがありました
それから 以前 恐山の賽の河原に行ったことがありますが そこだけが違う空間みたいで なんだか不思議な光景でしたよ
(V705SH)
23 朴捻◆MRe7
恐らくそれは、地蔵和賛が基と為った御詠歌では、無いでしょうか?
御詠歌とは、和賛や聲明と同じくキリスト教の賛美歌と同じようなもので御経に似た独特の節回しが特徴です。
御詠歌とは、和賛や聲明と同じくキリスト教の賛美歌と同じようなもので御経に似た独特の節回しが特徴です。
(P700i/FOMA)
24 朴捻◆MRe7
先日、賽之川原の本家の質問が出て居ましたがその後様々な文献等を調べた結果
恐山が本家のようです。
恐山は、日本三大靈場(高野山、比叡山)の一つとされ天台修巌道場として慈覚大師が開山され
今は、一般的に親しまれて居る地蔵信仰の基と為った場所でも有りその他様々な文献を調べた結果各地に有る靈場は、地蔵信仰と共に各地へと広がったとされます。
恐山が本家のようです。
恐山は、日本三大靈場(高野山、比叡山)の一つとされ天台修巌道場として慈覚大師が開山され
今は、一般的に親しまれて居る地蔵信仰の基と為った場所でも有りその他様々な文献を調べた結果各地に有る靈場は、地蔵信仰と共に各地へと広がったとされます。
(P700i/FOMA)